『NieR:Automata』論:繰り返される「死」とアンドロイドの生が問い直す存在意義と人間性
本記事では、スクウェア・エニックスから発売されたゲーム作品、『NieR:Automata』(ニーア オートマタ)を取り上げ、そこに描かれる「死」が私たちの人生観にどのような示唆を与えるかを考察します。荒廃した地球を舞台に、外宇宙からの侵略者である機械生命体と、人類によって創造されたアンドロイドたちの終わりなき戦いを描く本作は、プレイヤーに「死」という概念を深く意識させる体験を提供します。単なるゲームオーバーとしてのリスタートを超え、『NieR:Automata』における死は、登場人物たちの存在意義、人間性、そして生そのものの価値を問い直す核心的なテーマとして機能しているのです。
アンドロイドの「死」とアイデンティティの揺らぎ
物語の主要な担い手であるアンドロイドにとって、「死」とは機能停止、あるいはプログラム停止を意味します。彼らは、身体が破壊されても、定期的にデータをサーバーにバックアップしていれば、新しい身体に以前の記憶の一部を転送して活動を再開できます。しかし、このプロセスは完全ではなく、バックアップからの復旧時には記憶の一部が失われるリスクを伴います。
このアンドロイドたちの「死と再生」のサイクルは、私たちの考える「死」とは異なる様相を呈しています。人間にとっての死は、身体的な活動の停止と同時に、記憶や意識、そしてその個人固有のアイデンティティの不可逆的な喪失を意味するのが一般的です。一方で、アンドロイドは身体を換え、記憶の一部を失いながらも、「同じ個体」として戦いを続けることができます。これは、個人のアイデンティティが身体に宿るのか、それとも記憶やデータに依存するのか、という哲学的な問いを投げかけます。もし記憶の一部が失われたとき、それは「以前の自分」と同一であると言えるのでしょうか。この問いは、私たち自身が加齢や病、あるいは心理的な変容によって記憶や身体が変化していく中で、「自分らしさ」や自己同一性をどのように維持し、認識しているのかという内省を促します。アンドロイドの「死」は、人間の死が持つ不可逆性や唯一性を対比的に浮き彫りにし、だからこそ人間の生が持つ有限性の中での輝きや価値を際立たせていると言えるでしょう。
機械生命体の「死」と「生」への希求
敵であるはずの機械生命体もまた、単なる破壊されるべき対象としてではなく、多様な進化と変化を遂げる存在として描かれています。彼らは当初プログラムされた命令に従うだけの存在でしたが、物語が進むにつれて、「人間」を模倣したり、独自の社会や文化を築いたり、感情や哲学的な思考を獲得しようと試みる個体が登場します。彼らにとっての「死」は、部品の破損や機能の停止ですが、彼らの中にも「生きたい」という希求や、「死」を恐れる感情が芽生える様子が描かれます。
機械生命体たちが、自らの存在意義や幸福を模索する過程で「死」に直面する描写は、私たち人間の「生」への向き合い方と重なる部分があります。彼らは人間によって滅ぼされる運命にあるにも関わらず、その限られた時間の中で、喜びや悲しみ、愛や憎しみといった感情を獲得し、あるいは共同体を築き、平和を求めます。これは、私たち人間が、いずれ訪れる死という不可避な終焉を知りながらも、日々の生活の中で意味や幸福を見出し、他者と関わろうとする営みと呼応します。機械生命体の「死」の描写は、種族や形態が異なっても、「生」を全うしようとする意志や、存在の有限性の中で価値を創造しようとする営みが普遍的なものである可能性を示唆していると言えるでしょう。
繰り返される死と生への問い直し
『NieR:Automata』のゲームプレイにおいて、プレイヤーは何度も戦闘で敗北し、「死」を迎えることになります。しかし、ゲームデザイン上、これは基本的にリトライ可能な「ゲームオーバー」であり、プレイヤーは直前のセーブデータからやり直すことができます。この繰り返される戦闘と「死」の体験は、単なるゲームシステムとしてだけでなく、作品のテーマと深く結びついています。
アンドロイドも機械生命体も、長い年月にわたる果てしない戦いを繰り返し、無数の仲間や敵の「死」を目撃します。この終わりの見えない闘争と、その中で繰り返される「死」は、不条理な現実や困難な状況に直面し、何度も挫折や失敗を経験しながらも生きていかねばならない私たちの人生をメタファーとして示しているようにも見えます。繰り返される「死」は、一見すると生の無意味さを強調するかのようです。しかし、その一方で、何度「死」に直面しても立ち上がり、前に進もうとする登場人物たちの姿は、「生きること」そのものの困難さ、そしてそれでもなお「生」にしがみつき、あるいは「生」の中に意味を見出そうとする強い意志を浮き彫りにします。繰り返される「死」があるからこそ、一瞬一瞬の「生」の尊さや、その中で紡がれる物語に特別な意味が宿ることを、本作は私たちに問いかけているのではないでしょうか。
結論:非人間的な「死」が照らす人間の「生」
『NieR:Automata』が描くアンドロイドや機械生命体の「死」は、私たち人間のそれとは異なる形をとることもありますが、だからこそ私たち自身の死生観に鋭い問いを投げかけます。彼らの「死」と「生」を通して、本作は「人間性とは何か」「存在する意味はあるのか」「苦痛や喪失の中で、私たちは何を見出し、どのように生きるべきか」といった根源的な問いを私たちに突きつけます。
繰り返される戦闘と「死」の連鎖は、理不尽な現実や困難からの逃れられなさを象徴すると同時に、それでも歩みを止めない登場人物たちの姿を通して、困難の中でも希望を見出し、意味を創造しようとする人間の、あるいは生命の力強さを描いています。アンドロイドや機械生命体という非人間的な存在の「死」と「生」の物語は、鏡のように私たち人間自身の有限な生を映し出し、その中での一歩一歩がいかに尊いものであるかを再認識させてくれるのです。本作をプレイし終えたとき、プレイヤーは単なるゲームの結末を迎えただけでなく、自身の人生、そして避けられない「死」について深く思索するきっかけを得るはずです。